僕が農業を始めた理由。~レコードとテクノロジーと私~
こんにちは、夫の方です。
最近、いろんな方から「なんやおもろいことやっとるね~」と言っていただけます。他人に褒められるためにやってる訳ではないのですが、興味を持っていただけることはとても嬉しい。
で、大体いつもその後に「なんで農業やろうと思ったん?」と聞かれて、僕は勢いよく「面白そうだったから!」と答えるんですが、実は自分でもなぜそう思ったのかよく分かりませんでした。気付いたら興味を持っていた、という感じで。
でも、真面目に過去を掘り返したら、やっぱりあるもんですね。ああ、これだな、これがきっかけだったんだなというものが出てきました。
いっけん関係なさそうなことが実は繋がっているという話、ちょっと語らせてもらいます。
レコードとテクノロジーと私
僕は趣味でDJをやっているのですが、僕がDJを始めてからの数年間は、まさにDJの世界に革命が起きた時期でした。テクノロジーの進化という革命です。
わずか数年間で、DJのツールは「アナログレコード」から「CD」へ、そして「PC(MP3)へ」と、目覚ましいスピードで広がっていきました。ご多分に漏れず僕もこの波に乗りました。
扱うツールがレコードからMP3になったことで、信じられないほど安く、手軽に、幅広い曲を購入出来るようになりました。だってそうでしょう、これまではレコード屋に足を運んでいちいちレコードをターンテーブルに置いて視聴したうえ1枚1000円を超える価格で購入していたのが、インターネット上にある無限とも思われる楽曲を自在に視聴できるうえ1曲200円程度で購入できるようになったのですから!これを革命と言わずになんと言うでしょうか。
テクノロジーの進化の恩恵はこれだけではありませんでした。レコードの時代にDJが大半の時間を費やしていたのは、2つの曲の速さを揃える作業でした。テクノロジーは、DJをこの作業から解放しました。画面上のボタンひとつで異なる曲の速さを完璧に揃えることができるようになったのです。これにより、DJは選曲やアレンジにより長い時間をかけられるようになりました。今までほうきで一生懸命掃除していたのが、ある日突然ルンバが勝手に掃除してくれるようになったようなものです。
テクノロジーすごい。テクノロジー万歳。そう思っていた時期が僕にもありました。
でも、テクノロジーは、かわりに大切なものを奪っていきました。それは、「音楽の価値」であり、「DJの価値」であり、「五感の感触」でした。
テクノロジーはDJから大切なものを奪っていった
注)ここから下はあえて辛辣なことを書いていますが、もちろん現在でも素晴らしいDJは数え切れないほどいますし、そもそもDJとはそんな浅くも簡単なものでもない、紛れもないアートだと考えています。あくまでもテクノロジーという軸で見た一般論だと受け止めていただければ。
ふと気付くと、僕はひとつひとつの曲に何の感情も持たなくなっていました。タイトルすら覚えられなくなっていました。音楽が消費されるものに変わってしまったのです。レコードはジャケットを見ただけでどんな曲か分かるのに。
そして、DJは誰でもできる遊びになりました。すべて機械がやってくれるのだから、人間はただのアイコンになれればそれで良いのです。ちょっと人気のあるモデルやタレントが、こぞって片手間にDJをやってちやほやされるようになりました。
↑これなんて、今のDJの姿をある意味的確に表してると思います。強烈な皮肉ですが、あながち間違ってないという。
そして最後に、テクノロジーはDJを無機質な作業に変えました。DJをやると言っても、実際にはマウスを動かしてクリックし、ちょっとつまみをいじるだけ。レコードを触るときに感じた高揚感や、両耳から聞こえる異なる楽曲が完璧に混ざり合い新たな楽曲に生まれ変わった時の言いしれぬ興奮。針が飛んだ瞬間に流れる冷や汗や、アナログ特有のざらついたノイズ。これらは完全に奪われました。テクノロジーはDJを作業から解放し、新たな作業をさせるようになっただけでした。
結局、僕はMP3を離れ、レコードに戻ることにしました。
レコードが教えてくれたこと
この経験を経てから、「テクノロジーの進化に置いていかれるもの」への興味が膨らんでいったような気がします。あれだけ行きたがっていたIT業界にも興味を示さなくなりました(笑)。古くなり、忘れられていくものの価値を感じることが出来るようになり、紆余曲折を経て、農業にハマったという訳です。(その紆余曲折を端折るなという感じですが、そこはまた別の機会に。)
テクノロジーを否定する訳ではありません。様々な家電は生活を楽にしてくれるし、PCやスマホはもはや欠かせないツールです。ネットがなければ今こうして文章を公開することも出来ないし、食べログのおかげで多くの良店を知ることができました。テクノロジーのない生活はめちゃくちゃ不便でつまらないでしょう。だからテクノロジーを「良い」か「悪いか」の二元論で断じることはナンセンスだと思います。
ただし、物事は何でもそうですが、何かを得ると何かを失うものです。僕は一度失うという経験を経て、様々なことに気付いた気がします。
古いものには古いものなりの、変わらない価値がある。
不便なもの、非効率なものは、実はそれ自体が価値になり得る。
五感で感じるということは、時として便利さ以上に大事なものである。
農業って、ええで。
農業は古い職業かもしれません。泥まみれで身体をバキバキにしながら汗水垂らして作った野菜の対価は、冗談かと思えるほど安いです。安易な決断で脱サラ就農して失敗する人が後を絶たないことから分かるように、農業で食べていくのはとても難しいです。情報を右から左に流すだけで一財を築けるこの時代に、わざわざ農業を選ぶ人は余程の変わり者だと思います。
ただ、畑には、10年前に初めてレコードを触った時のような、腹の底から沸き上がってくるような喜びが至るところに落ちています。知的好奇心の種はいくつ拾ってもなくなることがありません。苦労して作った野菜はなぜか市販のものとは比べものにならないほど美味しいし、汗と泥にまみれボロボロになった身体を湯船に沈めた時の快感たるや、ああ!
近い将来、「第四次産業革命」と呼ばれるほどとんでもないレベルのテクノロジーの進化が起きることが確実視されています。生き方、働き方、考え方、人間の在り方、すべてが変わってしまうほど。それは決して悪いことではありません。時代は変わり続けるもの。
ただ、そのような時だからこそ、変わらないものに目を向けてみるのも良いことかもしれません。速い流れに疲れを感じたら、少し羽根を休めに遊びにきてみてください。
「変わらないものもいいなあ」と思えるかもしれません。
おわり
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